どーも、管理人のうつやまです。
今回は娯楽と効率についてつらつらと語ってみる。
料理、ハンドメイド、同人誌の電子書籍化、ゲームと4つのカテゴリに分けて
それぞれで効率と娯楽(手間を取る楽しみ)について自分なりに考察してみた。
料理
あなたにとって”料理”という行為は楽しみの一つですか?
それともただただめんどくさい作業に過ぎませんか?
料理が生活における楽しみの一つだと思う人もいるし、
ただの家事(作業・仕事)でしかない人もいる。
料理が楽しいと思う人は手間暇かけて凝った料理を作る事にも抵抗ないだろう。
家事だとしか思わない人は、出来るだけ短時間で済まそうとする。
(それとは別にいかに効率的に作るか、という部分に楽しみを見出してる人もいる。
ゲームで言うタイムアタックみたいなものだろう)
どう思うかは人それぞれ。
管理人は基本面倒くさがりなので、料理はかったるい家事の一つとしか思っていなかった。
しかし、最近は料理に手間をかけるのも悪くないかなと思い始めている。
手間をかけた料理は純粋においしい。インスタントにはない味わいがある。
ハンドメイド
次にハンドメイドの話。
ハンドメイドに本格的に興味を持ってから自分の考え方が大きく変わった気がする。
服作りの例を挙げよう。
昔に比べて安価でそれなりのクオリティの服が買える現在、
服作りなんて無駄な行為と思う人もいるかもしれない。
実際に、材料代を考えるとそのへんの服屋で買った方が安いし、作るのも大変だ。
だが、それでも自分で服を作りたい。
手間暇かけて作り上げたからこそ、かけがえのない一着になる。
量産服とは違い、世界に一つだけしかない自分だけの服。
服はあくまでも一例に過ぎない。これはハンドメイド全般に言える。
同人誌の電子書籍化
Twitterで見かけた話だが…。コミケの同人誌コスパの話。
今時、紙じゃなくても電子書籍で頒布した方が圧倒的にコスパいいでしょみたいな話。
二次創作問題云々は別なので置いておく。
(そもそも同人誌イコール全てが二次創作というわけでもない。オリジナルだってある)
これも料理やハンドメイドの話に通ずる部分がある。
(管理人は同人誌作った経験がないので、あくまでも想像なのだが)
自分の考えたストーリーや企画、描いたイラストを
手間暇かけて印刷代も払って紙媒体で手に取れる本にする。
その事に喜びを感じている人だっているだろう。その本が宝物になったり。
それを持参してイベントで販売するという体験がまた楽しかったりする。
そんな人に「紙は非効率だ!電子書籍の方が稼げる!」とか言うのもナンセンスである。
Twitterの発言にあったコンサルとやらはよっぽど見る目がない…
というか何も分かってないなぁという感じだ。
管理人は最近、本は電子書籍派になりつつあるのだが
(本棚溢れるし大量の本の管理がめんどくさい)
ものすごくお気に入りの本はこれからも紙で持っていようと思う人間だ。
電子書籍と紙、どちらもメリットデメリットがある。
同人誌の話に戻すが、折衷案として電子・紙両方で出せばいいんじゃね?と思う。
なかなか即売会行けないような人向けの電子版頒布はあってもいいんじゃないかな。
まあ利益云々とか考えるもんじゃないよね、同人誌。
(繰り返すけど、二次創作本の電子書籍化は別の問題ありそうなのでオリジナル想定ね)
ゲーム
効率の話で何かと話題になるゲーム。
ゲームで効率を求めすぎると、よく”効率厨”なんて揶揄される。
装備集めは強くなるための手段であり、ただの作業にしか感じない人、
その装備集めそのものが楽しくてやってる人…それぞれである。
ガチ勢とエンジョイ勢という括りで語られる事も多い。
ゲームで強くなるという事は、ある意味自己実現の一種だ。
レベルやランクが数値で表示される。自分がどれだけ成長したか分かりやすい。
リアル人生ゲームの成長は分かりづらいものだ。ステータス数値化してくれとよく思う。
ゲームそのものというより、その成長に意義を見出す人も結構いるのでは。
いわゆるネトゲの準廃ポジションがそんな感じかな。
ゲームの上達に固執するのは、一種の承認欲求か。
ゲームで強くなって認められたい!自分を認めてあげたい!
という感じだろうか。
もちろんそれだけではなく、ストイックに強さを追い求めてる部分もあると思うが。
で、それが上手くいかないと当然イライラする。
その時点で、ゲームはもはや楽しいものではなくなってしまっている。
今思い返すとだが、管理人もかつてこのタイプに片足突っ込んでたような気がする。
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何が楽しいかはその人次第
どのカテゴリでも言えるのは、
自分の感覚が必ずしも全ての人に当てはまるわけではないということだ。
そこを理解しないで論じても、話し合いは平行線になるだけだ。
管理人も昔は、何事も効率を考えてテキパキと終わらせたいタイプの人間だったが
最近はじっくり時間をかけるのも悪くはないかなと思っている。
ブログ執筆然り、料理然り。ゲームだってそうだ。
無駄を減らして効率を突き詰めたところで、到達するのは無味乾燥な生活だけなのでは。
そこに感情なんてものは必要ない。ロボットと一体何の違いがあるのか?
無駄とは人生の調味料であり、調味料の入っていない料理なんて味気のないものだ。
上で散々例を挙げたように、効率を無視した手間暇かける喜びだってある。
ただ、効率を重視せずに得る楽しさを時間のない他人に強制した場合、
よくネットでお父さんお母さん達が愚痴っている
PTAの非効率的な業務の話みたいになってくるのかなと。
PTAのおじさんおばさんにとってはそれが楽しみの一つであり、意義あるものなのだろう。
しかし、自分の中で意義を感じるのは自由だが、それを他人に押し付けるのは良くない。
逆も然り。効率が正義と言わんばかりに他人に自分のやり方を強いるのも良くない。
かつての自分は割とそこに当てはまっていた気がする。反省。
時間がない故
現代人はとにかく時間がない。
学校や仕事から帰った後のわずかな時間で、あれもこれもやらなければならない。
その分、ある程度の効率を求めざるをえない部分はある。
このあたりの関連性を考えたらかなり深い話になってしまいそうだ。
そもそも管理人がこんな事を考えられるようになったのも
ここ何年かで時間に余裕が生まれたからだと思う。
(時間に余裕が出来た影響で心にも余裕が出来た)
結論
結局何が言いたいかっていうと、何が娯楽で何が作業かなんてその人次第であって、
どの感覚が正しいか間違ってるかなんて明確な答えは出せない。
ただ人によって違うからこそ、自分の感覚を他人に押し付けるのはやめようねって話。
自分の信念を持ちつつも、他人も尊重して思いやりを持とう。
なんてありきたりな結論になるのであった。
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