最近料理をするのがめんどくさくてサボっていた。というよりは、他にやりたい事がありそれに夢中になっていた。
料理するのがめんどくさいという気持ち
別に料理する事自体は嫌いじゃない。ただ、何となく”毎日やらなければならないこと”という位置づけになってしまっていた。
夕方のわずかな時間帯で、なるべく時短で済ませようとする料理。いわば、毎日タイムアタックをやらされているようなものだ。
それはそれで限られた時間でいかに効率よく動くかというゲーム的な面白さがあるのだが、毎日やっていると疲れる。
そして繰り返される洗い物と時短調理の往復。挙句の果てに「今日は料理めんどくさいから弁当でいっか」と放り投げる始末。
この便利な昨今、弁当や安価な外食も多く、実際に料理をしなくても困らなくなったと思う。
調理時間、洗い物、買い物の時間の人件費を考えると、自炊は節約だというのも違う気がする。
材料費と原価しか見てないだろ、それ。じゃあ料理なんて作らなくていいじゃないか。
そんな気持ちで手軽な食生活に堕してみるものの、しばらくするとこれにも飽きてくる。
そして「結局自分の作ったものが一番美味い」という結論に至る。
材料費+人件費を考えると安価な弁当と同等、いや、それ以上のコストがかかるにせよ、そのコストを掛けるだけの価値がある。
別に大した料理を作れるわけではない。
ただ、弁当生活にしばらく甘んじてから、久々に自炊してみると、想像以上の美味さに感激し、驚く。
健康面から見ても、外食より自炊した方がいいと思う。
自炊をよくしていると、たまに外食した時に「味付けがやたら濃い」と感じる事が多い。これは好みの問題かもしれないが。
また、外食だと野菜をじゅうぶんに摂る事が出来ない。
肉料理ばかりで「野菜も食べるか」とサラダを頼んでみても、淡色野菜しかないなんて事も多々ある。
そもそも、チェーン店のカット野菜を使ったサラダは純粋に美味しくない。
栄養学はその辺の本を一読しただけの知識だが、野菜はなくてはならない存在だと思う。
ちょっとした体のだるさや不調などは「それ単に栄養(特に野菜)足りてないんじゃない?」と思う事もしばしば。
現代人は圧倒的野菜不足だというのが私の持論だ。
別にサラダとかじゃなくてもいい。実際、私もサラダはそこまで好きではない。
スープやカレーに野菜を多めに入れてみる、とかでもだいぶ変わると思う。その調節が出来るのは自炊ならではだ。
結局人は飯を食べないと生きていけない
当たり前の事だが、生きるのに食事は不可欠だ。どんなにめんどくさかろうが、生きていくうえで切り離せない行為である。
この生命行為を”いかに楽に手早く済ませるか”にフォーカスすると、疲れてしまう。
充分な栄養も摂れず、ちょっとした不調の原因にもなりやすい。前述の通りだ。
では発想を変えてみよう。”どうせ食事をしない事は出来ないのだから、いっそ全力で楽しめばいいのだ”と。
美味しい物を食べた時の至福のひととき、”一瞬の永遠”を自分にプレゼントする時間。
前々から料理を趣味にすることはコスパが良いと思っていた。毎日やる自炊と、趣味としての料理は似て非なるものだ。
調理器具や材料にお金をかけて拘ってみたり、休日は料理に時間を費やしたり。
平日は時間がない人も、休日ゆっくり料理に嵩じてたっぷり作り置きをしておけばいい。
人によって楽しみ方は様々だが、自分の作り出した物に舌鼓を打ち、つかの間の至福のひとときを味わう。この部分は共通だ。
これは立派な趣味といえるのではないか。
趣味ならたっぷり時間をかけても精神的負担にはなりにくい。逆に、時間をかければかけるほど楽しくなってくる。
実際に食べている時だけでなく、作った後に部屋中に美味しそうな残り香が漂うのも良い。幸せになる。
人間が食事なしでは生きていけない以上、食費というのも切っては切り離せないものだ。
世の中には食費を最低限に切り詰め、残った金を自分の趣味に回すという人も結構いると思うが、
料理が趣味だと最低限の食費+αになる。シンプルだ。最も、料理以外にも趣味を持っている人がほとんどだと思うが。
料理とは人間だけに許された贅沢だ
私の知る限り、地球上の生物で料理をするのは人間だけだ。
そもそも火を扱えるのは人間だけだし、その事によって人の営みはここまで発展してきたのである。
料理の目的は食べられるようにする為、食材を長期保存する為、はたまた娯楽の為か。
食事とは生きるうえで必須であり、かつ、生きている事を確かめる行為であると思う。
肉、魚、野菜、果物、その他加工品…。どれも元は生命だ。その命を頂き、自分が生きる糧にする。
つまり、食事とは生命の儀式である。そう考えると、キリスト教などで食前・食後に祈る事について「なるほどな」と思ったり。
で、この生命の儀式を存分に盛り上げるのが、料理という行為だ。食材達の生命の営みが一同に介し、互いの魅力を最大限引き出す。
味覚のハーモニー。こういう風に書くと、何と魅惑的な響きになるのだろう。悪魔的ですらある。これは人間のみに許された贅沢だ。
この贅沢を「時間がないから」「めんどくさいから」と適当に済ませたり、投げ出してしまうのは勿体無い。
それは自分を含む、すべての生命に対する冒涜ではないだろうか?
実際に料理モチベUPになるコンテンツ
タイトルからはだいぶ逸脱した内容になってきた気がするので、実際に料理のモチベが上がりそうなコンテンツも挙げておく。
シェフ
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映画。アベンジャーズなどでお馴染みジョン・ファヴローが手がけている。NetflixでもAmazonプライムビデオでも見る事が出来る。
有名レストランの料理長がTwitterで炎上し、フードトラック(屋台)を始める話。
全体的なテンポの良さ、映像センスも良くて楽しめるが、何よりフードトラックを始めてからの楽しさは極めつけだ。
音楽も素晴らしく、ラテン系のノリノリミュージック多め。最近はこの作品のサントラを料理のお供にしているくらいだ。
料理のもたらす楽しさ、料理によって紡がれる人との絆みたいなのを感じたり感じなかったり。
まあ難しい事考えなくても純粋に楽しいし、見てて明るい気持ちになる。何よりキューバサンドが食べたい。そのうち作ってみるか。
ちなみにNetflixで、ジョン・ファヴロー達がこの作品の料理を実際に作る「ザ・シェフ・ショー」という料理番組がある。
これもめちゃくちゃ楽しいのでオススメだ。ネトフリ会員の方は是非。
レシピを見ないで作れるようになりましょう。(Kindleストア)
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本。タイトルからして分かるが、巷に溢れているレシピ本とは一風変わった料理本。
まず、一般的なレシピ本とは違い文章形式なので、軽い読み物を読む感覚。
それから、分量や「○分焼く」みたいな具体的な数字はほぼ出てこない。
「味見してみて、自分好みになったら」など、自分の感覚を頼りにする表記が多い。
今まで、レシピを見てその通りに作る事しか出来なかった自分としては、目から鱗だった。
「なぜそうするのか」という理由まで教えてくれるので、一度身につけてしまえば色々と応用出来そう(身につけるまでが大変)。
文章内で作り方を紹介している料理が、軒並みお馴染みの食材なのも良い。
料理本って「それ近所のスーパーで売ってます?」みたいな食材が必ず一度は登場するものなのだが。
著者の文章からして自分にも他人にもストイックな人というイメージがあるので、ちょっと苦手と感じる人もいるかもしれない。
私のイメージでは、見た感じ厳しいけど実は優しいところもあるお母さんとか師匠みたいな感じ。
とにかく、しばらくはこの本を頼りにトレーニングしてみようと思っている。
試しにキャベツ炒めと揚げナスを作ってみたが、シンプルなのにとてもおいしく出来た。そして鉄フライパンが欲しくなってきた。
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