フェルマーの最終定理という本を読み終わった。
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読書という行為
本筋から脱線するが、私は読書が好きだ。
日常生活に疲れると読書がしたくなる。
日常に特に不満はないが、何か刺激が欲しい時もそうだ。
自分の知らない世界に触れたいという自己逃避願望なのかもしれない。
自分が自分でいたくない時。
だが生きている限り、自分が自分でない時など存在しない。
読書にのめり込むことで、一時的でも自分ではない誰か
___物語の主人公、あるいは語り部、筆者_____
になることができる、そんな気がする。
本屋という場所
読みたい本が明確に決まっている時はAmazonを使うのだが、
特に決まっていない時は本屋へ向かう。
読む本を選ぶという行為はとても慎重を要するものだ。
その時の気分に合ったもの、自分に合うものを選び出さなければならない。
うだうだ考えながら書棚に並ぶ本を眺める。
裏表紙のあらすじを見る、ぱらぱらとページをめくって吟味してみる、
何となく目についた表紙を手にとって見る…
これはAmazonなどでは出来ない、実際の本屋ならではの楽しみだ。
というわけで、何となく読書はしたいが、読みたい本が具体的に思い浮かばない時は本屋へ行く。
この本との出会い
上記のノリで本屋に行きウロウロ物色してたのだが、
ファンタジーという気分でもない、ミステリーも違う、ラノベも違う、ラブストーリーも違う…
いつもより読みたい本の捜索が難航。
そんな時目に止まったのが「フェルマーの最終定理」
いかにもな数学タイトルで、実際数学がテーマの本である。
とは言いつつも、手書きポップで
「歴史的な数学者達のドキュメンタリーがメインなので、数学わからなくても大丈夫!」
的なことが書いてあったので、思い切って読んでみることにした。
ちなみに、数学ガールの内容がほとんど分からなかった程度には数学苦手人間である。
感想
ブクログより。
というか数学が嫌い!という人でも問題なく読める。
こういったサイエンス分野の本は初めて読んだが、楽しく読む事ができた。内容としてはピュタゴラスをはじめ、オイラーなどの著名な数学者達のエピソードがふんだんに盛り込まれている。
そしてこの本のメインテーマであるフェルマーの最終定理を中心に、それを証明して見せたアンドリュー・ワイルズの約8年間に及ぶ孤独な闘いの様子が詳細に書かれている。
誰もが問いがちな「数学が将来役に立つの?どうして勉強しなきゃいけないの?」の答えがちょっぴり分かりそうな本だった。
本屋のポップにあった通り、数学が分からなくても面白い。
フェルマーの最終定理を中心に、歴史上の数学者達のエピソードがふんだんに描かれていた。
今までサイエンス分野には全く縁がなかったが、この著者の別の本はいずれ読んでみたい。
引用
ピュタゴラスは自然現象を支配する数学規則をはじめて明らかにし、数学と科学とは基本的なところでつながっていることを示したのだった。
ー 50ページ
数学ってすげえ。
とくに、袋小路に入り込んでしまったり、未解決の問題にぶつかったりしたときには、定石になったような考え方は何の役にも立たないのです。 ー 323ページ
フェルマーの最終定理を証明したワイルズの言葉。確かになぁ、と納得。
解けないかもしれない問題に、なぜそれほど時間をかけることができたのかと思われるかもしれませんね。その答えは、私はこの問題を考えているのが嬉しくてしかたがなかったから、これに夢中だったからです。 ー 356ページ
これもワイルズの言葉。夢中になれることがあるって素敵だよね。
紙と鉛筆はいつも持ち歩いていました。もしも何かアイディアが浮かんだら、ベンチに腰掛けて書き留めるためです。 ー 363ページ
同じくワイルズ。さすが数学者。
あれほどみごとなアイディアに溢れ、ドラマティックな緊張感をもち、みごとに構築された講演は見たことがありません。 ー 380ページ
ワイルズの講演の感想。
すばらしい出来事だったには違いないのですが、私の気持ちは複雑でした。七年間というもの、これは私の一部であり、仕事としてはこれがすべてだったのです。 ー 381ページ
こちらもワイルズ。フェルマーの最終定理は彼の一部のようなものだったんだね。
しかし人は誰しも、自分にとって大きな何かに本気で取り組むことができれば、想像を絶する収穫を手にすることができるのではないでしょうか。 ー 461ページ
ワイルズいいこと言いすぎ。チャレンジ精神って大事。
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