孤独の文章

孤独。私は常に孤独感に苛まれている。自分の全てを理解してくれる人間など存在しない。虚しさが募る日々。

正直この虚しさが他人に理解されるとも思っていない。

「ただ、一切は過ぎていきます。」

太宰治の「人間失格」の一節だ。そう、一切はただただ過ぎる。

一日中布団で絶望するも、一生懸命頑張って生活するのも大して変わらない事だ。ただ時間が過ぎる。

人生など所詮、壮大な時間潰しに過ぎない。そう考えると、あらゆる事柄が茶番に思える。

最近、自分の存在価値が分からなくなった。

正直いてもいなくても変わらないのではないか。いたらちょっと面白いくらいの存在。

なぜならそう思ってもらえるように道化を演じてきたからだ。それに一体何の意味がある?正直疲れた。

かといって死に急ぐ理由もない。

現代社会、どんな死に方でも必ず他人に迷惑がかかる。わざわざ他人に迷惑をかけてまで、苦しい思いをする必要も感じられない。

親にも迷惑をかけたくない。何もなし得ていない自分だが、生きてはいる。それだけが唯一の親孝行だ。

それすら無くなったらあんまりじゃないか。

生き地獄。いや、地獄ってほどでもない。ただ、

どんなに恵まれた環境だろうが、やることなすこと「果たして今している事に一体何の意味があるのか?」

この疑問を抱いてしまったが最後。緩やかに堕ちていく。

さて、ここまで書くとただの絶望的な駄文だ。

ここからはこの絶望に満ちた人生を全うするための道標を書き記す。

このくだらない人生にも一つだけ救いがある。

それは自分が”ものづくり”できる人間であること。これは技術的な問題ではない。

自分はもともと人一倍不器用だし、本格的に何かを作り始めたのもここ数年の話だ。

10代とか小さい頃から続けている人に比べたら技術的にはお粗末なものだ。

この場合の”ものづくり”できる人間とは、ものを作ろうと思える事、そしてものづくりそのものを純粋に楽しめるという事だ。

わかりやすく言えば自分の熱中出来る事がある、ということだろうか。

世の中には自分で何を生み出そうとせずに、ただ他人の作り出す物を享受する事しか出来ない人間が多々いるように見受けられる。

欲しい物がない時、自分で作ろうとせず他人が提供してくれるのを待ってるだけのような連中だ。

そういう人間ではありたくない。

何かをする気力を失った時、このまま何もしないのも、何かを作り続けて時間を潰しても変わらないのだと。

これも死ぬまでの時間潰しの一環だと考えた。暇潰しに淡々と何かを作り続けた。

しかし作りながら気付いた事(いや、悟った事と言うべきか?)がある。

たとえ誰からも評価されなくても、何かを作るのは楽しい。熱中してしまうんだ。

自分で作り出した物に救われるというのは不思議なものだが。

これからの人生、どんなに孤独でも何かしらを作り出す事は出来るはずだ。

だから決意した。ものづくりと心中しようと。生涯の伴侶にしようと。